新年度開始で忙しく、すっかり更新が遅くなりました。
続きです。
志望9つ、という無茶振りを三者面談にて中学校の担任にお話。
カピ男くんが決めたんだよね?、学校の実力テストを見る限り、この調子で頑張ってやってください。調査書はお任せください。
とのこと。こんなに調査書を書かせてしまい、お忙しいのに本当に申し訳ないと思う母。
そんなこんなで出願時期になりました。
最後の駿台模試は過去最低ラインに。
合判もなかなかに厳しそう判定になってしまいました。②国立、③在住県私立や⑧最難関私立などは判定30〜40%まで下がり、80%超えは1校のみ。
結果を見て、冬休み突入。カピ男はこの時期ようやく奮起したご様子。
私立推薦の友達の話を聞きながら、塾友達とともにザ⭐︎受験生をしておりました。
正月特訓、冬期講習を経て翌々週には在住県入試となりました。
過去問については塾が絶妙なスケジュールを組んでくださったようで、小論文対策や難問、クセ強い問題などを見てこの学校は三年分、こちらは二年分やった後にクセ強い問題だけ過去六年遡って解く、など綿密な計画のとおりに進めていました。
過去問始めの頃は最低点にはもちろん届かず、100点満点中17点しかとれなかったわ…ʅ(◞‿◟)ʃ
なんて開き直るしかない結果だったことも。
過去問を解いていくうちに、知識も技能もぼちぼち身につけていったようで、解ける問題を増やしていったそうです。
学校が始まり10日ほどで在住県私立入試。
カッコ内は中3駿台模試合判の結果です。
③在住県私立A(30〜70%)
④在住県私立B(50〜80%)
⑤在住県私立C(80%)
まさかの特待合格もあり、ここで調子に乗れました!直前の模試(12月)での合判結果がよろしくなく、入試初日は驚くほど緊張していたので気持ちの振り幅がすごかったというか。特に③が合格だったのは大きかったです。
この時点で⑨都内私立併願優遇には出願しないことを決め、過去問は②⑧を重点的に、⑦の小論文対策をする、という学習予定になりました。
塾の授業は演習と、①在住県公立の対策。
3週間あけて都内受験に突入。
③の合格があったことから、どこの入試についても背水の陣的な気持ちはなく臨みました。
②都内国立(40〜80%)
⑥遠方の私大附属(40〜80%)
⑦都内私大附属(40〜80%)
⑧最難関私立(30〜70%)
カピ男の成績は数学を落とし気味で、他4科目でカバーすることがパターンになっており、3科目受験の私大附属には苦手意識アリ…
また②と⑥は説明会に行っていますが⑦と⑧は入試で初めていくという……
連戦にて疲れてはいましたが、程よい緊張感と気負いのなさと、いつも通りの朝(父は2校については途中まで送って行きましたが、あとは仕事へ。母はお弁当作りのみでいつも通り仕事に行っていました)で体調は今一つながらもリズムは崩さず乗り切れました。
⑥⑦は3科目にもかかわらず、始まりが遅く、しかも試験と試験の合間が1時間ほどあけていたため、お弁当持参…そして試験終了時刻もも5科目の学校と同じくらいに…
なので帰宅は毎度16時半過ぎになってしまい、中学校がある時と変わらず。
こんなところも無理なくできた要因なのかなと思います。
結局、ニャン子のコロナ罹患というアクシデントがあり、都内受験に満足のいく結果があったということと、公立校とはまた違った友達のに出会えるかも、部活動と生徒会の両立チャレンジしたいかも、という理由で都内に進学を決め、公立受験には臨まずにカピ男高校受験は終了となりました。
駿台模試の結果との相関としては、平均値で見ればどこもほぼ60%程度でした。年明け、本当にギリギリ合格の範囲にいたかと思います。
中学3年に上がってから受験期までで猛スパートできるお子さんが結構いて、それまでのペースで可もなく不可もなくやってきていたカピ男は追い抜かれてしまった感がありました。
カピ男としてはカッコつけなので、自宅では勉強に身が入りにくいこともよくわかり、これは大学受験に向けても塾にはいかないと落ちる一方だ、という結論に達した模様。
そしてスパートよりはコツコツ長い時期をかけた方がやりやすいということもわかったようです。
また3年後に受験がありますが、まずは高校生活に慣れて、どう自分を運用していくか。時折口ははさむつもりですが、概ねカピ男の意見を聞きながらまたチャレンジしていこうと思います。